Monday, 22 October 2012

「アンブシュア」は動詞だ!


アンブシュア(Embouchure):名詞〔音楽〕プレイヤーが金管や木管楽器のマウスピースに唇をあてる方法」

辞書にはこう記載されています!しかし、唇があっても振動を起こす息がなければ、唇は何の役にも立ちません。ただ、息が唇にどう触れ、どう通っていくかによって、無限の可能性が生まれます。唇の張りや息、それにその二つがどう一緒に働くかを考えるのは、ほとんど精神的な領域だと言えるかもしれません。これは思考から結果が起こるという問題だからです。分析をすることは人間にとって自然なことではありますが、アンブシュアについては、分析したとしても満足な結果は得られないでしょう。そして、アンブシュアを分析し過ぎることで、ブレスの問題をも引き起こすこという悲しい結果が生まれることもあります。現代の意味においての「アンブシュア」は、唇に触れる空気であり、空気が唇に触れるさまです。それならば、アンブシュアは動詞です!

アンブシュアとは動作を表す言葉です。それは、私たちが音域や音量を変える際のコンスタントな変化の中での動きであり、私たちが音楽を演奏する際、アパチュア、息の圧力、そして息の流速(1分あたりの立方リットル)はすべて絶え間なく調整が行われます。話す際の方法をも同じように分析できるでしょう。喉頭に触れる空気が動き、振動を引き起こし、そしてその後に、母音や子音を作り出す口腔と細かい舌の動きがあります。しかし、私たちが懸命にこういった分析をしても、シェークスピアの朗読を上手く出来るようにはなりません。

唇と空気の動きは、金管演奏において切っても切り離せないもので、共に働き、機能します。この働きは、ノズルの付いたホースに大変よく似ています。水圧を調整することなく、ノズルだけを調節するのはやはり意味がありません。もし私たちが、スムーズで、乱流なく、水しぶきなく、ポタポタ垂れることなく、3メートルの水のアーチを作りたいとするなら、ノズルを調節し、そして、私たちが望む3メートルのまっすぐな噴水が得られるような水圧を調整しなければなりません。もし、私たちが5メートルのアーチを作りたいと思えば、ノズルと水圧を再調整しなければなりません。金管楽器の音づくりにおいてもほとんど同じことです。ただ、こういった調整がより頻繁であり、それが絶え間なく行われます。唇の張りと空気の量の調節が、音質と音量と音域を決定します。また、どれだけ速く水がノズルに達するか、どれくらいの速さで蛇口をひねるかによって、ノズルに達するときの衝撃が変化します。それがアーティキュレーションにあたるものとなるでしょう。

考えることはたくさんあります。しかし、実際、演奏する時に、唇に息を届けるためのこれら全ての側面を意識し続けることはまず不可能です。想像してください。水がいっぱいに入ったボウルを部屋の向こう側へ、一滴もこぼさずに運ぶとします。どうすればこぼさずに歩けるでしょうか?あなたは、こうつぶやきながら歩くことも出来るかもしれません。「手首と腕を動かさないようにします。そうすれば、全然こぼさないはずです。ゆっくり歩いて、そしてもし、水が左側にこぼれそうになったと判断したら、逆につりあわせるように私はボウルを右に傾けて・・。」しかし、もしそうやれば、おそらく床にたくさん水をこぼす結果となるでしょう。ただ気をつけながら直観的に歩いてみるのです。あなたは、きっと水をこぼさずに歩けることでしょう。

それは、演奏する時と正に同じです。確実に正しい緊張で唇を締め、ブレスをとり、ちょうど正しい位置に舌を突き、きっちりと正しい量の息を使い、もし音程が外れていれば音を上げ下げし・・。こう考えてばかりいれば、おそらく多くの音ミスを起こす結果となるでしょう!それよりは、自分の耳をたよりにし、直観的に吹くのです。たいていの場合、上手く吹けるはずです!

そして再び、私たちは同じ結論に到達します。分析のし過ぎは邪魔になるだけです。聞くことが、柔軟なアンブシュアの為に必要な微調整をコントロールするためのただ唯一の方法です。

金管演奏のすべての側面において、私たちが演奏する際に使う道具(機能)を磨き上げようとする際、最終的な調整や最終的な決定をするのは、私たちの耳なのです。

2008年11月2日 東京にて

Friday, 5 October 2012

ブレス

金管や、木管、声楽の教師が多く存在するように、どうブレスするかを教える理論、哲学、方法も多く存在するものです。その理論や方法が上手くいくこともあり、そのことが、音楽の本質である自然さ、自然な流れや美しさに反することもあります。ブレスは音楽の一部であるべきですが、音楽を止めてしまい、再び音を出すために息を入れなおしているだけの奏者をよく見かけます。

 私達は、すぐ物事を分析し、専門的になってしまう傾向にあります。どうやったら物事が上手く行くかということを知りたいわけです。吸う、吐くといった肺の機能を知ることは、大変興味深いものですが、その知識がいつも有利に働くかということは、疑わしいものです。どうブレスするかという事に没頭していると、音楽を作っていくことの邪魔になることがよくあるのです。ブレスは、自然であるべきで、音楽に沿っているべきであり、ブレスが必要な場所のほとんどは、音楽もブレスを必要としているのです。

 48年前の1957年、私がロチェスター交響楽団の団員であった時代、楽団は、シュトラウスのオーボエコンチェルトのリハーサルを行っていました。ロバート・スプリンクル(私の学生時代の英雄の一人であり、ロチェスター交響楽団の第一オーボエ奏者であった)がソリストでした。シュトラウスのオーボエコンチェルトは、Tubaパートがないので、私は、イーストマンテアトルのホールへ行き、演奏を聴くため、客席に座りました。

 長く、叙情的な始まりは大変素晴らしいものでした。豊かな強弱の変化、美しいフレーズ、完璧な音程、深い音楽性に満ちた長いシュトラウス特有のフレーズは、スプリンクル氏の循環呼吸によって全く壊されていませんでした。しかし、なぜ私は違和感を感じていたのでしょうか?私にとっての良き師の一人である人が、美しい音楽を作り上げているというのに、その人の音楽に対して、ほんの19歳の少年が、落ち着かないとは・・?私はその瞬間に感じた事をその後何年も覚えていましたが、ずいぶん後に、再びシュトラウスのオーボエコンチェルトを聞くまで、その違和感は一体何が原因だったのかということが分かりませんでした。循環呼吸と、途切れることのないフレーズというのは不自然であり、音楽自体もブレスすることを必要としていたのです。

 私たちTuba奏者というのは、楽譜に休符がない場合、フレーズを続けようとするばかりに、リズムを壊してしまうということが頻繁に起こります。1968年のある日、メル・カルバートソンという、オランダのハーグ交響楽団のTuba奏者を務めていた古い生徒から電話がありました。彼は、ちょうど、パリオペラ管弦楽団の席を得たところで、急いでハーグの席を埋めようとしており、私の生徒に、適任者がいないかと尋ねてきました。私は、一人心当たりがあると言うと、演奏テープをすぐに生徒に送らせるようにと言ってきました。そして、その10日後、またメルから電話があり、彼は「たぶん信じられないと思いますが・・」と言い、電話越しに、幾つかのオーディションテープを私に聴かせ始めたのです。その曲は、マイスタージンガーの前奏曲で、オーディションお決まりのパッセージでした。メルが聞かせてくれた5人のテープ全ての演奏は、かなりリズムが崩れていました。なぜなら、奏者が二分音符と八分音符のタイの音を、八分音符の音ぎりぎりまで伸ばした後、ブレスを取り、そして次に来る3つの八分音符を吹いていたのです。当然、後の3つの音への入りが遅れていました。全体のパッセージは、八分の九拍子のようになっていたのです!幸いにして、私の生徒はそう演奏しなかったので、結果、その仕事を得ることが出来たのです。

 考えてみてください。休符の無い場所で、もしあなたが、音価分を保って演奏し、ブレスを取って次の音を吹いた場合、次の音というのは、遅れるでしょう。ブレスにかかる時間は、きちんと計算されていなければならず、前の音の時間を削ってブレスを取らなければなりません。私が聴いたテープの奏者達が、もし、二分音符を吹き、3拍目でブレスを取り、そして3つの八分音符を続けていれば、八分音符への入りが遅れることはなかったでしょう。

 ブレスは、音楽の一部であり、そして特に、リズムの一部として組み立てられる必要があります。みんなが癖のようにしてしまうブレスの仕方に関する質問よりも、ブレスの場所に関する質問の方がはるかに大事なのです。よく出くわす「ブレスの問題」というのは、どこでブレスをすべきかという決定をすると、単純に解決するのです。「ブレスの位置」は、音楽的な決定であり、ブレスが音楽の一部となったとき、体の呼吸機能がはるかに自然となるのは明確なことです。

気をつけなければならないブレスに関する3つの簡単なルールです。

1. 演奏中は、日々生活している時と同じで、息の動きは、休みなく続けられていなければならない。

 ブレスに問題がある奏者の大多数は、ブレスを取った後、次の音を出す前に息を止めてしまうという習慣を持っているため、問題を抱えています。音楽的、また、身体機能的、その両面に対して一番良い結果を生むには、吸う時、吐く時に関わらず、空気は絶えず動いているべきなのです。

2. 低音域を演奏する時には、より多くの息を取ることを忘れない。

 同じ音量で演奏する場合、オクターブ下に下がれば、もとの音よりも2倍の息が必要になります。もし、ピアノの中央のC(Tubaで言えば、ハイC)が、メゾフォルテで一分間に4リットルの息が必要だとすると、そのオクターブ下では、同じメゾフォルテで8リットル必要になります。また、そのオクターブ下(私達の下のC)では、一分間に16リットル必要となり、ペダルCでは、32リットル必要です。私達はみんな、低音域では多くの息が必要だということを頭で理解してはいますが、驚くべきことに、多くの人は、演奏中、この事を忘れてしまっています!

3. できるだけ、息の容量の、最初の66%の中で演奏しなければならない。

 私たちの息の最後の三分の一というのは、最初の三分の二と比べて不安定なのです。時として、我々Tuba奏者は、最後の三分の一の部分を使わなければならない場面もありますが、できるだけそれを避ける努力をすべきです。毎回きちんと深くいっぱいの息を取ることは、最初の66%の中で演奏しようとするための最善策です。


 4つ目のルールがあるなら、音楽的ブレス、もしくは、リズミカルなブレスについてであるかもしれません。どこでブレスするか、いつブレスするかという問題だけでなく、ブレスにかける時間の長さにも問題があります。テンポによって、ブレスの長さは、八分音符分や四分音符分に相当します。また、曲の出だしが四分の四拍子の一拍目から始まるとすると、その前の小節の四拍目でブレスを取れば、より美しく演奏できるでしょう。また、もし音楽が3拍目の裏から始まるとしたら、2拍目の裏からブレスを取るとリズムが定まるでしょう。
音楽というのは実際には、音が始まる前から始まっているのです。


 呼吸法を知ることは、もちろん役に立ちますが、機能的な部分だけにとらわれ始めるととても危険です。きちんと計画され、音楽の一部となった時、ブレスは驚くべきほど自然に行われているのです。

2006年5月5日 日本 東京にて