Wednesday, 26 September 2012
日本の音楽教育
最近、日本の学生による吹奏楽が大変素晴らしいとインターネットでも大きな話題となっています。真間小学校や小平第六中学校の演奏、また、アメリカのシカゴで行われたミッドウエストクリニックでの武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルの輝かしい演奏・・。日本における音楽教育は活力があり、大変良い方向に向かっているのは間違いありません。小学校、中学校、音楽大学や一般大学に関わらず、どの団体においても、生徒たちのアンサンブルは常にベストを尽くしています。
しかし、北アメリカの音楽教育は、その存在自体が脅かされています。教育費が大幅に削られたことを理由に、驚くべきほど多くの学校が、あっさりとカリキュラムから音楽を外したのです。似たような感じで、ヨーロッパにおいても、豊かな音楽の歴史を持ったイタリアのような国々がもし音楽教育を存続させたいと望めば、どんどん個人的な資金提供に頼らなければならなくなってきました。しかしながら、現在、日本は経済問題に奮闘していてさえも、音楽を国の文化の一部とするために大きく成長させ、情熱的な探求を続けているのです。それに、この探求に必要な教育費が必要だという話もさほど聞かれないように思います。
日本における音楽的発展が見えてきたことは単に幸運だったというだけではなく、これには音楽教育の成功があるのです。日本人の学生は、とても高いレベルの演奏を達成するのに必要である、意志、忍耐、および規律正しさを持ち合わせています。多くの西洋の教師たち、そしてバンドディレクターたちは、日本人の生徒たちの新しいアイディアに対する柔軟性に驚嘆しています。日本人は、新しいものに対して反発したり、肩肘張ったような態度をしないと言われています。そういった態度は新しい情報や新しい学習という未知のものを受け入れることに対する抵抗からくるものであり、日本人は皆、自国の社会的習慣の環境において、新しいものを受け入れるという経験を多くしてきているのです。日本人の学生は、学びたいと考え、そのために、まず、情報と与えられた指示を受け入れます。そして、最も重要なことには、日本人は、望むことに対しての必要な仕事をきちんとこなすのです。
確かに、インターネットで人々の感嘆を引き起こしたYouTubeの中に並ぶ見事な演奏は、並外れた回数のリハーサルの結果なのかもしれません。何よりもまず、真間小学校のバンドが暗譜で演奏していたことに注目すべきです。それだけを見ても大変な量のリハーサル時間があったことを示しています!さらに言えば、私が見たそれらバンドの演奏は、日本の吹奏楽コンクールのための演奏だったということです。これは、彼らが達したそのレベルにもっていくために、一週間に何日も、そして一年間のほとんどをリハーサルに費やしただろうことを意味するのです。
武蔵野音楽大学は、音楽大学であるため、演奏に対するリハーサルはもちろん専門的になります。しかしながら、その準備にかける時間は多く、おそらく2、3ヶ月で、少なくとも1週間に2度のリハーサルをやっていました。そしてその上、大変素晴らしい点は、世界的にも有名なバンド指揮者がいることです。その演奏は、とにかく最高のものです。
もちろん、それらの演奏をした生徒全員がプロの演奏家になるわけではありませんが、皮肉にもこのことは日本人の音楽教育システムをよりよくさせています。そういったことを十分に成し遂げてきた若いプレイヤーの多くが教師になった時、彼らのそれぞれの故郷でハイレベルな音楽指導を続けるのです。日本の音楽教育の未来はとても良い方向に向かっています。
さて、大事な質問をしたいと思います。今日の演奏を行う団体(例えば、交響楽団)は、出来るだけたくさんのコンサートをやる必要があり、なるだけ頻繁にやらなければなりません。演奏団体が生き残っていくためには、多くの客の興味を引きつけ、出来るだけ多くのお金を稼がなければならないからです。それがプロの音楽家が今日直面している現実です。しかし、出来るだけ多くのコンサートを行うために最小限のリハーサルを組むような今の世界に、膨大な時間をかけてリハーサルを重ねて演奏するような、彼ら日本人学生たちのコンサートは、この時代に適しているのでしょうか?
その答えはとても明らかで、絶対に「イエス」です!徹底的で完全な準備は、これらの日本の学生に素晴らしさを経験する機会を与えます。そして、そのような経験は、どういったリハーサルがよいものなのかを理解させることが出来、理想主義になれないようなプロの状況がある中でも、素晴らしいアンサンブルを完成させることがより容易となるのです。
日本で音楽を教える他の側面についても話す必要があります。それは、音楽の個人主義の発展、独特な音楽性です。これは日本だけに限らず、世界中のどこにおいても教育学のより扱いにくい部分です。そして実際、日本には、「出る杭は打たれる」という古いことわざがあります!おそらくこれは、円満な社会を維持するための最も素晴らしい描写であると言えます。しかし個性的な音楽家を生み出すためには、常にいい方向へ向く表現とは言えないかも知れません。 日本人のプレーヤー(特に金管楽器の奏者)は完璧を目指して努力しますが、試験、演奏会、コンクールなど、様々な条件の中で演奏するような音楽の世界では、完璧は十分ではありません。もちろん演奏には完璧も必要ですが、それだけが素晴らしさを決定するものではありません。
真の素晴らしさには音楽的才能を必要とします。音楽的才能は、ダイナミクス、リズム、アーティキュレーションの多彩な変化、ヴィブラートとそのほか、音楽を作る全ての他の側面のそれぞれの使い方により複雑に構成されたものです。それら音楽の道具がちょうどよく組み合わせられ、使えることで、いつその道具を使うかを知り、また、いつそれらを使わないでおくかを知り、どれくらい使うかを知ることが出来ます。決して平凡なものに留まらず、特別なものを目指していくような音楽への情熱を持っていることが必要です。すぐれた音楽家は、音楽的個性を見せるために、個人主義的特性を見せる勇気がなければなりません。
日本は多くの素晴らしい音楽家に恵まれています。そして、規律正しさ、忍耐、意思、やる気のある特性を持ち合わせた日本人演奏家が、国際的な音楽の舞台でさらに増えていくことは、必然なのです。
2010年8月27日 チェジュ(韓国)・沖縄にて
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